【シゲの自己紹介② 起業するまで(幼少期からの想い)】

こんにちは

行きたい所に行ける靴をナビゲートする

シューソムリエ こと928Rakuchin(靴屋楽ちん)代表のシゲです

 

最近、SNSから新たなお客様

またお得意様からご紹介のお客様など

お問い合わせやご来店が多いので

前回に続き、私の自己紹介をいたします

 ⇒前回(シゲの自己紹介①

 

☆起業するまで(幼少期からの想い)

自宅兼店舗で育つ

私の実家は伏見で呉服店をしていました(現在は兄が継いでる)

1階が店舗で2階が自宅という環境

 

昭和40年代当時はそれはもっとも商店街が繁盛していた時代

父・母・祖母と店員数名がいつも忙しく働いている姿をみて過ごしていました

 

子供の時からの夢

子供心に、私も大きくなったら店をもとう!一国一城の家主になるんだと思っていました

大学の就活の時もこの気持ちは変わりません

 

将来、自分が店を持つための修行ができる会社に勤めたいと思い

大手企業には応募せずに、小さな地方の会社に就職しました

 

修行先を選ぶ

私の選んだ条件は、創業社長が現役バリバリで仕事している所

規模が大きすぎず、その社長に直接指導しもらえる所

 

行ってみると覚悟はしていましたが

世間知らずの思っちゃんの私には過酷な環境でした

今でいう、超ブラックな会社で朝から晩まで毎日12時間以上

月に29日は(一ヶ月2日くらいの休み)働き続けました

 

中高大学と何の苦労もせず育ったお坊ちゃんでしたので

慣れるまでは本当に大変でした。しかし、自分んで望んで来た道

(商いを学ぶための修行期間)なので全く後悔はなく

苦しみを楽しんでいる自分がいました

 

修行2社目

この福岡の会社には4年半お世話になり、いったんは京都に戻りましたが

まだ独立するには経験がたりないと感じ

2社目神戸の会社に就職しました

 

こちらでは7年勤めることになり

後半は営業部長として大阪・東京・三宮を行きする日が続きました

2つとも宝飾業界でした

兄が呉服店をしているので、近い業界(女性対象のファッション業界)を選んでいました

どの業界を選ぶ?

30代半ばになり、そろそろ独立(起業)を考えたときに

12年間いた宝飾業界での道はイメージできませんでした

ならばどんな業界で独立する?

 

モンモンとした時期を過ごします

日々、テレビ・雑誌・新聞などを見聞きして情報収集しました

運命の出会い(雑誌からN師匠)

ある日、いつものように本屋で立ち読みしてると

一冊の雑誌の記事が目にとまりました

 

経済誌フォーブスで「サービスの達人」というテーマの記事だったように思います

そこに、私の師匠となる大阪のコンフォート靴小売店のオーナー(N師匠)が

掲載されていたんです

 

それから、数か月後にはN師匠に会いに行き話をさせてもらいました

靴・中敷・調整の知識や経験が全くないこと

将来はコンフォート靴業界で独立したいこと

この店で学ばせてもらいたいこと(3回目の修行)

 

N師匠は二つ返事で許可してくださいました

そして、1年半学ばせてもらい

2001年についに独立することができました

創業時 ①西大手町の店舗(2001年~2006年)

 

開業しながら学ぶ日々

この当時は、外反母趾・リュウマチ・糖尿病などトラブルの強いお客さんが

来られると十分に対応できないこともありました

その時に疑問に思ったことを

定休日にはN師匠を訪ねて質問してアドバイスをもらい学んでいきました

 

独立してから数年は、

毎月のように師匠の店に通い質問し(店でのお客様への対応で疑問に思ったことを)

東京へはドイツ人マイスターに整形外科的靴知識と中敷調整技術を習得にいきました

2006年 ①西大手町店舗 最後の日

今からは考えられないほどハードな過ごし方ですが

30代の若い時、習得したい志が在るときは

苦ではなく楽しい思い出ですね

2024年3月 ②七瀬川町店舗にて リコ(奥さん)とシゲ

 

最後に

気が付けば今年で靴屋楽ちん起業23年になります

この間、多くのお客さま、取引先さまにささえられてきました

本当に感謝しかありません

2024年5月 ③桃山町店舗 シゲ 兄 母(88才)

そして、もう一人伝える人は

私の奥さんであるリコさんです

3人の子育て、家事をこなし

そして店舗を一緒に手伝ってくれています

 

新店(桃山町)ではスタッフ卒業し

創業当時の私とリコさんの二人体制に戻ります

 

これからもよろしくお願いします

シゲ リコ
行きたい所に行ける靴をあなたに